沿革

1998 年 10月

医師:横山浩之が、東北大学医学部附属病院(現:東北大学病院)小児科にて、飯沼一宇教授の了承のもとで、知的発達支援外来を主宰する。発達障害の専門外来としては、東北地方の大学病院では初めて。当時、日本小児神経学会で、軽度発達障害に関連した発表はおおよそ600演題中10に満たなかった。

このころ、教師:高橋(旧姓:長江)佳子が、東北大学医学部附属病院の院内学級にて教鞭をとる。 医師:横山浩之との接点ができ、医教連携の先駆けを試行錯誤する日々を送る。

2001 年 9月

横山浩之が、TOSS/Human が主催する“法則化解散セミナー”にて講演し、TOSS(Teacher’s Organization of Skill Sharing) における活動を開始した。TOSS/Human の一員として、活動し始める。

2002 年 8月

横山浩之が石川真悦 が主催するTOSS/分析批評初心者MLに参加した。横山が実践してきた個別指導を中心とした指導の経験と石川が教室で実践してきた国語教育との出会いとなった。この出会いは、お互いを切磋琢磨する好機となり、両氏のその後の実践に多大な影響を与える。

この成果は、横山が大森修氏と連携して作成した「グレーゾーンの子どもに対応した作文ワーク(明治図書)」や「大森塾の提案シリーズ(明治図書)」の形で結実した。 

2002 年 10月

向山洋一氏のご協力のもと、教室の障害児(現:特別支援教育教え方教室、明治図書)の発刊に、横山浩之が携わる。 これ以降、TOSS/障害児教育に、横山浩之をはじめとしたメンバーが精力的に関わる。この頃になると、軽度発達障害は社会事象としての認知度が増し、特別支援教育や医教連携の必要性が大いに叫ばれるようになる。

2005 年 2月

大森修氏との公開での対談(「横山浩之・大森修の医師と教師でつくる新しい学校(明治図書)」として刊行 )を契機として、TOSS/Human から特化する形で、Human 特化特別支援サークルが生誕。 法則化サークルとして、活動を開始した。

2005 年 9月

TOSS/Human の改組により、法則化サークル“にゃっき~ず”として独立した。命名にあたりさまざまな案が浮上したが、発達障害児の微細運動障害を克服するリハビリテーション“フィンガーカラーリング”に感銘を受けたメンバーが多かったことから、この訓練で最初の題材として定番の、NHK教育TVの主人公である“Knyacki”にちなみ、Knyackiの生みの親・伊藤有壱氏の許諾を得てKnyackies(にゃっき~ず)と名付けられた。

2007 年 2月

向山洋一氏の方針転換によりTOSSは教師中心の活動を営むこととなったが、にゃっき~ずは、教師のみならず、保育士、研究者、臨床医、看護師、保健師、保護者など、子どもに関わるすべての方々と連携して、特別支援教育を必要とする子どもに、手をさしのべるために、TOSSとは別行動をとることとなった。にゃっき~ずは、NPO法人化を試みることとなった。

2007 年 4月

横山浩之の山形大学医学部看護学科着任と同時に、“ふる~る in 仙台”を開始。 最新の研究成果に基づいた“ペアレントトレーニング”による保護者への支援を行い始めた。

2008 年 4月

最新の研究成果に基づいた“ペアレントトレーニング”による支援対象を、保育士・教師にも拡大した。 

2009 年 4月

広汎性発達障害がある子どもの保護者に特化した“ペアレントトレーニング”の成果を確認した。 この研究は、山形大学医学部倫理委員会の許諾のもとで科学技術研究費によって行われた。

2009 年 6月~

最新の研究成果に基づいた“ペアレントトレーニング”による支援を、小学館の教育雑誌に横山浩之が発表。小三教育技術、小二教育技術などで、相次いで特集が組まれる。

2010 年 4月

支援者に特化した“ペアレントトレーニング”が、子ども集団に対しても効果を発揮することを確認した。 この研究は、山形大学医学部倫理委員会の許諾のもとで科学技術研究費によって行われた。